いにしへの海人やけぶりとなりぬらむ ひとめも見えぬ塩釜の浦(新古今和歌集、一条院皇后宮) 「古の海人が皆死んでしまい、煙となって昇っているのだろうか。人の行き来も海藻もみられない塩釜の浦であるよ」 詠歌の時期や背景は不明であるが、定子の作とすればいかなる思いで詠んだのだろうか。
まひろもききょうも、「史記」とその作者である司馬遷については十分承知しているわけで、まひろがききょうに「史記をお書きなさい」と勧めるところに、宮刑に処されるという屈辱と絶望を味わいながらも「史記」の執筆を諦めなかった司馬遷の姿とききょうを重ねているのだろう。 #光る君へ