1085年5月25日、教皇グレゴリウス7世が亡命先のサレルノで客死する。叙任権闘争において皇帝ハインリヒ4世に謝罪を強いたものの皇帝は対立教皇を立て反撃、ローマを包囲されたところをプッリャ・カラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドに救出され南イタリアに脱出。失意のうちに没した。 https://t.co/vkkPsBmurX

この時ヨーク軍にはブルゴーニュ公妃マーガレット・オブ・ヨークから派遣された傭兵隊長マルティン・シュヴァルツ率いるドイツ・スイス傭兵1500も加わっていた。ヨーク軍が崩壊する中ドイツ・スイス傭兵は最後まで踏み止まり、シュヴァルツ以下多数が戦死したという。 https://t.co/bIvwZe3NTV

363年6月26日、ローマ皇帝ユリアヌスがペルシア遠征からの撤退中に陣没する。敵襲に対して陣頭指揮を執っている最中に受けた投槍の傷が致命傷になったと言われ、かつてキリスト教徒を迫害した皇帝が死に際して発した言葉は「ガリラヤ人よ、汝は勝てり」だったと伝えられる。 https://t.co/GQ1JLCOD7f

伝説によれば、西ゴート王ロデリックは教育のため王都トレドに送られていたセウタ総督ユリアヌスの娘フロリンダを陵辱し、その所業に憤激したユリアヌスは娘の復讐のためムスリムと誼を通じた。ターリクにユリアヌスは船団を提供し、それによってウマイヤ朝軍はジブラルタル海峡を渡ったという。 https://t.co/PxAzRlFoU4

ヴァーツラフ4世は父帝カール4世没後の1379年にローマ王として親政を開始したが、度重なる失政を犯したため1400年にローマ王を廃位されている。「怠惰王」あるいはその酒癖の悪さから「酔っぱらい王」とあだ名された。また短気な性格でもあり、料理人の未熟さに腹を立て殺害したともいう。 https://t.co/SPUydYWKuM


紙の教科書には「落書き」という無限大の可能性がある。

_人人人人人人人人_ > ルター激おこ < ‾Y^Y^Y^Y^Y^Y^‾

「ものを褒める時、推す時に必ず他のものを貶さなくては死んでしまう人」と会話すると疲れてしまうのであった。

赦し

自然派、オカルト、陰謀論を信じている人々に多い傾向として「自然のもの、天然のものは科学(ひいては学問)で説明できない」という信念が存在する。 自分も、かつて「市販の塩は駄目だよ、NaClという化学物質なんだから」と怒られたことがある。

ちいかわ(なんか地位を失ったかわいそうな奴)

「令和と江戸時代、民主的だと思うのはどちらですか」という投票が流れてきた。

トーマス・エジソン #子供の頃と今とで見方が変わった偉人

「大河ドラマは史実と違う」という記事を毎週のようにYahooニュースのトピックで目にしますが、書いているのが大体いつもの面子ですね。

大河ドラマに関して「史実とかけ離れている!」「子供には見せられない!」という某週刊誌の見出しを見かけた時の顔。

出勤する前から退勤する気まんまん

中世の落書きにも味がある。