画家・マンガ家 月刊少年ジャンプ連載→McQ 2014AWコラボ→世界各地で絵画展など 画集等→ https://t.co/bVwKAegxC1 ※プロフィール写真はmiyakoさんにメイクして頂いた本人(現在46才男性、撮影時41才)です☺️

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田村吉康 TAMURA Yoshiyasu@FUDEGAMI 9363ヶ月前
【1月5日(金)21時 販売開始のお知らせ】  かねてより告知していた毎年恒例・手描き年賀状販売の件ですが、今年は上記の日本時間にBoothで販売を開始し、売上は全額を日本赤十字社を通じて能登半島地震の被害に対して寄付させていただきます。 今年は3枚限定となる予定です。 Boothは私のプロフィール、及びこのポストのツリーにリンクがあります。 ご厚意による追加のお支払い分も含めて、全額を寄付させていただきます。  併せて、1月1日分から当面の間 ・Boothで販売している画集「ICON-TACT」「ICON-TACT 2.0」、及びTシャツ ・DC3 CONTENTS STORE で販売しているDC3デジタルコンテンツ(ブロックチェーンを利用したデジタルコンテンツ) の売上も全額を手描き年賀状と同様に寄付させていただきます。 (1月20日までを目処とし、状況によって期間を延長します。十分な在庫数があるはずですが、万一品切れの際には早期終了する場合があります。なおウクライナの写真家Marfa Vasilievaさんとの共作写真集「TAKAMAGAHARA PROJECT」の売上については、引き続きウクライナ大使館に寄付させていただきます。月末に確定した売上と私のプライベート分を合わせ、間も無く開設されるはずの日本赤十字社の窓口に寄付させていただきます)  能登半島地震により被災された皆様やその関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。 当然ながら現在は通常以上に人命救助が最も懸念される状況だと思います。 同時に、能登半島は現在では再生産不可能な蒔絵筆をはじめ、非常に貴重な様々な伝統技法や文化遺産が数多く残る場所です。技法や文化は生活の基盤ともなるものであり、それらの喪失を懸念しています。 できるだけ多くの命と、技法や文化が救われ、一日も早い生活の再建が成されることを強く願っております。2
【1月5日(金)21時 販売開始のお知らせ】 かねてより告知していた毎年恒例・手描き年賀状販売の件ですが、今年は上記の日本時間にBoothで販売を開始し、売上は全額を日本赤十字社を通じて能登半島地震の被害に対して寄付させていただきます。 今年は3枚限定となる予定です。 Boothは私のプロフィール、及びこのポストのツリーにリンクがあります。 ご厚意による追加のお支払い分も含めて、全額を寄付させていただきます。 併せて、1月1日分から当面の間 ・Boothで販売している画集「ICON-TACT」「ICON-TACT 2.0」、及びTシャツ ・DC3 CONTENTS STORE で販売しているDC3デジタルコンテンツ(ブロックチェーンを利用したデジタルコンテンツ) の売上も全額を手描き年賀状と同様に寄付させていただきます。 (1月20日までを目処とし、状況によって期間を延長します。十分な在庫数があるはずですが、万一品切れの際には早期終了する場合があります。なおウクライナの写真家Marfa Vasilievaさんとの共作写真集「TAKAMAGAHARA PROJECT」の売上については、引き続きウクライナ大使館に寄付させていただきます。月末に確定した売上と私のプライベート分を合わせ、間も無く開設されるはずの日本赤十字社の窓口に寄付させていただきます) 能登半島地震により被災された皆様やその関係者の方々に心からお見舞い申し上げます。 当然ながら現在は通常以上に人命救助が最も懸念される状況だと思います。 同時に、能登半島は現在では再生産不可能な蒔絵筆をはじめ、非常に貴重な様々な伝統技法や文化遺産が数多く残る場所です。技法や文化は生活の基盤ともなるものであり、それらの喪失を懸念しています。 できるだけ多くの命と、技法や文化が救われ、一日も早い生活の再建が成されることを強く願っております。
田村吉康 TAMURA Yoshiyasu@FUDEGAMI 005ヶ月前
田村吉康 TAMURA Yoshiyasu@FUDEGAMI 027ヶ月前
兎谷先生と私は実はジャンプ時代の初代担当編集者が同じ その頃その担当さんに「週に一度は、45pくらいの読切ネームが見たい」と言われたので 私はそれならと2or3日に一度くらいのペースでネームを描いて持って行ったら 「このペースで完全別ネタのネームを描いて来たのは尾田(栄一郎)先生とキミだけ」と言われたのは未だ心の中で自慢 たまに70ページくらいを一晩で描いたりしたけど 実は長いページのネームの方が描くのはラク(私は) 短く纏めるのはたくさんページ使うより難しい  風邪ひいて二週間ほど描けずにいたらすぐ「急病か!?」と担当さんから電話が来たのも懐かしい  それはともかく 数日でネームを描き上げろ、なんなら一晩で描け は おそらく日本の、それもジャンプなどメジャー誌しか対応できないはず 多分ね どうなのかしら 私は当時のジャンプ以外の事情を知らないから  当時の私のネームを見ると 原稿の下描きの下描き、絵コンテしかも完全ボツなのに描き込み過ぎていますが 絵の練習のつもりだったし 実際練習にはなりましたが 絵ではなくもっと効率的にマンガの練習してたら、また未来は違ったのかも知れないし でもイタリアなどに行く世界線ではなかったかも知れないし 良し悪しの判断は難しいところ ひとつだけ確かなのは、当時私だけでなく周りのジャンプのマンガ家志望者たちは、とにかくできる事を全て全力でやっていた、本当に死ぬ気で というだけですね 実際に命を落とした方もいた  一つ弊害があるとすれば、私(達)はなんでも死ぬ気で 能う限りの速度でこなすのがあまりにも当然と考えている節がある でもそれは、おそらくイタリアだけでなく 世界中どこに行ってもあまり通用しないスタイル1
兎谷先生と私は実はジャンプ時代の初代担当編集者が同じ その頃その担当さんに「週に一度は、45pくらいの読切ネームが見たい」と言われたので 私はそれならと2or3日に一度くらいのペースでネームを描いて持って行ったら 「このペースで完全別ネタのネームを描いて来たのは尾田(栄一郎)先生とキミだけ」と言われたのは未だ心の中で自慢 たまに70ページくらいを一晩で描いたりしたけど 実は長いページのネームの方が描くのはラク(私は) 短く纏めるのはたくさんページ使うより難しい 風邪ひいて二週間ほど描けずにいたらすぐ「急病か!?」と担当さんから電話が来たのも懐かしい それはともかく 数日でネームを描き上げろ、なんなら一晩で描け は おそらく日本の、それもジャンプなどメジャー誌しか対応できないはず 多分ね どうなのかしら 私は当時のジャンプ以外の事情を知らないから 当時の私のネームを見ると 原稿の下描きの下描き、絵コンテしかも完全ボツなのに描き込み過ぎていますが 絵の練習のつもりだったし 実際練習にはなりましたが 絵ではなくもっと効率的にマンガの練習してたら、また未来は違ったのかも知れないし でもイタリアなどに行く世界線ではなかったかも知れないし 良し悪しの判断は難しいところ ひとつだけ確かなのは、当時私だけでなく周りのジャンプのマンガ家志望者たちは、とにかくできる事を全て全力でやっていた、本当に死ぬ気で というだけですね 実際に命を落とした方もいた 一つ弊害があるとすれば、私(達)はなんでも死ぬ気で 能う限りの速度でこなすのがあまりにも当然と考えている節がある でもそれは、おそらくイタリアだけでなく 世界中どこに行ってもあまり通用しないスタイル