ローマの正装であるトガ(toga)の由来はギリシアのヒマティオンの模倣やエトルリア人の衣装の発展形など諸説あるが、後世の人間から考えるとあれだけ重く嵩張る布を体に巻いていたのだからその苦労は大変なものだったのだろう。 (帝政後期には庶民は着なくなり、上流階級が着るのみとなった)
近世まで公開処刑は庶民の娯楽であり、ほぼ祭日のような騒ぎとなった。処刑場に面した家々の窓は処刑見物用に有料で貸し出され、処刑見物に押し寄せた群衆が圧死する事故まで起こった。
ガレーの砲配列。舷側が櫂で占められるガレーでは、砲は前面に集中配備された。帆船に比較して砲の搭載数こそ少ないものの、低い位置から放たれるガレーの砲弾は帆船の喫水線に近い箇所を狙ったので脅威でもあった。