Takuma Ishikawa, Artist, Art Critic 石川 卓磨:美術家、美術批評。 蜘蛛と箒(くもとほうき@kumotohouki, https://t.co/Xfey16AzBJ)
マット・ボリンジャー/Matt Bollinger1980年生まれ、ニューヨークを拠点に活動している画家。逆光や暗がりの中に佇む労働者や生活者を描く作品などで知られている。光と影が作り出す形態が印象的。
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アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー (Alexej von Jawlensky, 1864 – 1941)ロシア出身でドイツで活躍した。青騎士に参加し、抽象的な頭部を描く、表現主義の画家として知られている。
ハンナ・レヴィ/Hannah Levyアメリカの彫刻家。シュテーデルシューレで修士号を。磨かれたスチール製の彫刻を特徴的に用い、野菜、家具、動物などの形態を引用し、移動の補助具などとの関係性を意識させる。彫刻と医療器具の近接性は、現代彫刻におけるメインテーマの一つになっている。
ふと『弥勒菩薩半跏思惟像』とロダンの『考える人』を比較したくなったが。考えることの高尚さというかこのスマートさというか。わかっている感と、何かがわかった感のあわいとしてのこのうっすらとした笑み。できればこんな感じで考えたいけど、そうはできない、けどわかると感じさせるのはすごい。
この腕を持て余している感。魅惑的。如意輪観音坐像 観心寺
マリ生まれで、フランスで活動している歌手でアヤ・ナカムラという人がいることを知った。日本人の名前だけど、これは芸名で日本人との血縁はないらしい。こういう人もいるんだなと。wikiの邦題が、なんかいろいろ変で個性的だ。
チャールズ・レニー・マッキントッシュ/Charles Rennie Mackintoshのデザイン
Elizabeth Murray (1940-2007)
ブライス・マーデン(1938 – 2023)が亡くなった。しかし最晩年の作品がこのように描けたのはすごいな。 A Moving Meditation on Mortality in Brice Marden's Late Paintings(2021年12月15日の記事)
アントワーヌ=ジャン・グロ1835年、グロはセーヌ川に身を投げ、既に溺死しているのを発見された。グロの帽子の中にあった一枚の紙には、こう書かれていた。「人生に疲れ、残った才能からも耐えうる批判からも、裏切られた。彼は全てを終わらせようと決意したのだ」参照↓
クリストファー・ウール(Christopher Wool, 1955-)
イケムラレイコ / Leiko Ikemura
授業でジンメルの「橋と扉」を扱ったので、ハマスホイの《陽光の中で読書する女性、ストランゲーゼ30番地》は、絵画的証明としての作品に思える。扉、窓、絵画はここではないどこかの外的なイメージを示さない。女は光のみを求め外に無関心。故にその三つが持つ固有の心理作用を対比的に示している。
マティスの名前はもちろん入れてないけれど、マティスのダンスに近づいているな。Stable Diffusionはマティスを意識しているのか、いないのか。 解説をかいつまんでPromptに変えて、Stable Diffusionに投げ込んでみた。
モンドリアンのこの絵を見ると、ホーローのポット思い出すところがある。
アダムとイブが禁断の果実を食べてしまうシーンは、絵画において多く描かれてきたけれども、それらの絵画において、果実を口にしている姿よりも、木に触れたり、実を持っていたりして、口よりも手への関心が強く描かれることが多いという指摘。なるほどね。絵になりにくいのか?下品に見えすぎるのか?
ニコラ・プッサン《キリストの哀悼》(1627)の左端の女性を見ると、サルペトリエールの写真を思い出す。そこに意味があるわけではないのだけれど、なんか時間を越えたある種の典型を感じるというか。サルペトリエールの写真を思い出す作品は他にもいくつかある。
Nick Caveは、Soundsuitsのシリーズで知られているアーティスト。このシリーズは、ロサンゼルス暴動のきっかけになったロドニーキング暴行事件から着想され、当初は比喩としての甲冑であった。そこからジェンダー、人種、階級を不可視にする第二のエイリアン的皮膚と解釈される。
ただモチーフが、風景メインになると(時期も違うかな、ちゃんと調べてない)意識が変わるので、そこも面白いところではある。
なんとなく逆さにしたのも観たくなる
サンフランシスコ出身の写真家Stefan Ruiz モデルが個性的。
今回の『アバター』は、そんなに宮崎駿要素ないかもなと思ったら、このシーンは、むっちゃナウシカだったな。
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