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Vatanabeus
@nabe1975
Tu fui, ego eris.
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Vatanabeus
@nabe1975
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2017-11-25T07:49:41.000Z
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ホワイトシップの遭難後ヘンリー1世は後妻を迎えたが男子に恵まれず、娘のマティルダを後継者に指名して没した。しかしマティルダは従兄のスティーヴンとイングランド王位を巡って争い、イングランドを混乱の「無政府時代」に導くこととなった。 https://t.co/AZ403OU5sk
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2017-11-24T06:25:54.000Z
1
レシェク1世は教皇より十字軍参加の要請を受けた際、「パレスチナには蜂蜜酒もビールもない。よってポーランドの騎士は十字軍に加われない」と断ったとされる。
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2017-10-29T09:02:41.000Z
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1268年10月29日、タリアコッツォの戦いで破れ捕虜となっていたシチリア王コッラディーノがシャルル・ダンジューの命によりナポリにおいて処刑される。1272年にはフリードリヒ2世の庶子エンツォがボローニャで獄死し、ホーエンシュタウフェン家の男系は断絶した。 https://t.co/EHch1azWg3
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2017-09-24T08:43:09.000Z
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1541年9月24日、パラケルススことテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムが47歳で没する。医師、化学者、錬金術師、神秘思想家と様々な顔を持ち、思想面で中世と近世の媒介者となった。 死因についてはくる病とされるが、居酒屋で喧嘩をして殺害された、または暗殺されたという説もある。 https://t.co/MkevvTxMxy
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2017-09-09T08:22:55.000Z
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1000年9月9日、スヴォルドの海戦においてノルウェーの艦隊がスウェーデン、デンマーク、ヴェンドランドの連合艦隊に破れ壊滅する。ノルウェー王オーラヴ1世は最後まで旗艦「長蛇号」の上で奮戦し、敵の刃に倒れる前に自ら海中に身を投じたという。
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2017-09-07T06:04:17.000Z
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1191年9月7日、ヤッファの北に位置するアルスフにおいてイングランド王リチャード1世がサラーフッディーン率いるイスラム勢を破る。イスラム勢を撃退したリチャードは9月10日にヤッファを占領しエルサレム攻撃の準備を進めるが、堅固な守備態勢のエルサレムを奪回することは出来なかった。
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2017-08-16T08:17:55.000Z
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ヴァーツラフ4世は父帝カール4世没後の1379年にローマ王として親政を開始したが、度重なる失政を犯したため1400年にローマ王を廃位されている。「怠惰王」あるいはその酒癖の悪さから「酔っぱらい王」とあだ名された。また短気な性格でもあり、料理人の未熟さに腹を立て殺害したともいう。 https://t.co/SPUydYWKuM
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2017-07-19T06:20:52.000Z
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伝説によれば、西ゴート王ロデリックは教育のため王都トレドに送られていたセウタ総督ユリアヌスの娘フロリンダを陵辱し、その所業に憤激したユリアヌスは娘の復讐のためムスリムと誼を通じた。ターリクにユリアヌスは船団を提供し、それによってウマイヤ朝軍はジブラルタル海峡を渡ったという。 https://t.co/PxAzRlFoU4
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2017-06-26T06:08:02.000Z
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363年6月26日、ローマ皇帝ユリアヌスがペルシア遠征からの撤退中に陣没する。敵襲に対して陣頭指揮を執っている最中に受けた投槍の傷が致命傷になったと言われ、かつてキリスト教徒を迫害した皇帝が死に際して発した言葉は「ガリラヤ人よ、汝は勝てり」だったと伝えられる。 https://t.co/GQ1JLCOD7f
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2017-06-16T06:55:58.000Z
1
この時ヨーク軍にはブルゴーニュ公妃マーガレット・オブ・ヨークから派遣された傭兵隊長マルティン・シュヴァルツ率いるドイツ・スイス傭兵1500も加わっていた。ヨーク軍が崩壊する中ドイツ・スイス傭兵は最後まで踏み止まり、シュヴァルツ以下多数が戦死したという。 https://t.co/bIvwZe3NTV
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41
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2017-05-25T06:13:49.000Z
1
1085年5月25日、教皇グレゴリウス7世が亡命先のサレルノで客死する。叙任権闘争において皇帝ハインリヒ4世に謝罪を強いたものの皇帝は対立教皇を立て反撃、ローマを包囲されたところをプッリャ・カラブリア公ロベルト・イル・グイスカルドに救出され南イタリアに脱出。失意のうちに没した。 https://t.co/vkkPsBmurX
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40
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2017-02-25T11:08:53.000Z
1
1634年2月25日、ボヘミアの傭兵隊長アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインがエーガー(ヘプ)において部下の将校に暗殺される。独断でプロテスタントと和議を結ぼうとしたことから皇帝フェルディナント2世に反逆の疑いをかけられたものだが、一説にはボヘミア王位も狙っていたと言われる。 https://t.co/U3FwhrndGm
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2017-01-31T19:49:54.000Z
1
「小麦粉で粉塵爆発」もマスターキートンだったかなと思っていたが、改めて調べてみるとパイナップルアーミーの方だった。
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2017-01-28T07:54:05.000Z
1
814年1月28日、アーヘンにおいてカール大帝が71歳で没する。その広大な帝国は当初フランク族の慣習に従い嫡男のカール若王・次男ピピン・末子ルートヴィヒに三分割される予定であったが、父王の生前にカール若王とピピンが没したため、結局はルートヴィヒの単独相続となった。 https://t.co/TnpBoBbQ1H
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2017-01-21T20:06:33.000Z
1
1793年1月21日、パリの革命広場においてルイ16世がギロチンによって処刑された。 「人民よ、私は無実のうちに死ぬ。私は私の死を作り出した者を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい」 https://t.co/qBTDU0p28j
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2016-12-30T08:25:02.000Z
1
1460年12月30日、ウェイクフィールドにおいてランカスター派とヨーク派の間で戦闘が行われる。ヨーク派の総帥であるヨーク公リチャードは敗死し、その首は切り取られ「ヨーク公にはヨークの街を見下させてやれ」との札と共にヨークの城門へと晒された。
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2016-11-12T08:27:30.000Z
1
クヌート大王は当時の北欧人の中でも群を抜いてキリスト教への信仰が篤かった。波打ち際に玉座を運ばせて自らの力では波を止められないことを認め、「王は無力であるが神は全能の王である」と十字架に王冠を掛けたといわれる。 「クヌートと波の説話」として知られる逸話である。 https://t.co/YwyUsqfF3p
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41
63
2016-11-08T06:12:25.000Z
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1520年11月8日、デンマーク王クリスチャン2世がスウェーデン独立派に属する有力者を大量処刑する。ストックホルムの大広場は大量の血で染まり、後に「ストックホルムの血浴」として知られることとなった。 クリスチャン2世の思惑を裏切り、この後スウェーデン独立運動は激化することとなる。 https://t.co/32AvA1sN0s
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2016-10-23T07:34:48.000Z
1
紀元前42年10月23日、マルクス・ユニウス・ブルトゥスがフィリッピの戦いで敗北し自害する。プルタルコスによれば、ブルトゥスの遺体を見つけたマルクス・アントニウスは敬意の証として自らが纏っていた外套をその上に掛け、手厚く葬るように命じたという。 https://t.co/z8SRbbaHBk
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42
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2016-10-14T08:27:11.000Z
1
ノルマン軍が弓兵を前面に押し出し、イングランド軍の盾の壁の後方に矢を降らせたことによってイングランド軍の陣形は綻んだ(諸説ある) その中でハロルド2世は目を射抜かれ、ノルマン騎兵に斬り倒されたと言われる。ハロルド2世は、戦場で斃れた最初のイングランド王となった。 https://t.co/rKYFHd0f5J
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2016-10-13T06:15:20.000Z
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紀元54年10月13日、第4代ローマ皇帝クラウディウスが没する。妻であった小アグリッピナは毒キノコを使った料理で暗殺を試みたが、それが決定的でなかったことを知ると、侍医に命じて毒を塗った鵞鳥の羽根を「吐き出させるため」と称し喉に差し込ませたと伝わる。
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2016-09-21T06:04:32.000Z
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1327年9月21日、議会で廃位されていた元イングランド王エドワード2世が王妃イザベラの密命により殺害される。殺害は看守役の騎士ロジャー・ド・モルトゥレイヴとトマス・ド・グルネイによって行われ、肛門に焼け火箸を差し込むという苛烈なものだったと言われる。
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@nabe1975
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2016-09-11T07:02:23.000Z
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1297年9月11日、ウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍がスターリングでイングランド軍を破る。スコットランド軍はスターリング・ブリッジを渡るイングランド軍を分断し、包囲されたイングランド軍前衛は殲滅された。 https://t.co/rmwwng7FJ0
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2016-09-02T06:33:14.000Z
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紀元前31年9月2日、アクティウム沖でオクタウィアヌス軍とマルクス・アントニウス及びクレオパトラの連合軍が交戦する。兵員数ではアントニウス側が優っていたが、序盤でクレオパトラが戦線離脱したことによりオクタウィアヌス側の勝利となった。 https://t.co/iXzTVDr4O6
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