Tu fui, ego eris.
寄る年波には勝てず、そろそろ新たに調整した眼鏡が欲しくなってきた。
トルコ人の頭(Törökfej, Turska hlava, Turska glava) ハンガリー、セルビア、クロアチアの貴族や都市の紋章に見られる具象図形。かつてオスマン帝国の攻勢に対しての抗戦を記念する意味で紋章に組み込まれた。多くの場合頭部は剣に突き刺されるか、カラスがついばむ姿で描かれる。
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「ゆっくり赤髭王だよ」
小松姫(稲)は家康の養女として徳川氏と真田氏を結びつけ、また実家の本多氏と真田氏も深い縁で結びつくことになった。双方の家臣はしばしば往来し、父忠勝も娘の様子を気遣って度々使者を送っている。#どうする家康
髭の伸ばし具合といい、髪の縮れ具合といい、「真田丸」の藤岡忠勝にかなり寄せてきている。どちらも圧がすごい。#どうする家康
天正14年(1586年)9月、大政所は人質として岡崎に送られた。従来では旭姫を正室として下しても一向に上洛しない家康に業を煮やした秀吉が見舞いと称して大政所を送り込んだとされていたが、近年では既に織田信雄を通じて上洛の意思を伝えていた家康の身の安全を保証するための証人であったとする。
#一番似ている二人をアップした人が優勝
「芸術の教養」について真面目に考えると学芸(art=ars)の教養なので、つまるところアルテス・リベラレス(自由学芸,artes liberales)なのである。 (自由七科には音楽も含まれるので、何でも良いのではないか)
中世写本に描かれる「人間を襲うウサギ」は、英語圏で"Killer rabbit"と呼ばれインターネットミームとなっている。(Monty Python and the Holy Grailに因む)
中世の写本に描かれた「カタツムリに乗るウサギ」のファンアートというものが存在するらしい。
西洋史に残る人物も、多くが痛風に悩まされた。文化人としてはダンテをはじめ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロが痛風を患っていたという。
生前の姿を写した墓像(gisant)の下で朽ちる遺体。キリスト教は死者の復活を説くが、一方で「死を想え」(memento mori)と説き、また虫に食われて朽ち果てていく肉体を描くことで現世の虚しさを説いた。無常を説くため死後変化を描くのは、東アジアの仏教圏における九相図に相通じるものがある。
一般的に肉親に対する情愛が深かったとされる豊臣秀吉だが、徳川家康と対峙した際の旭姫や大政所の処遇から考えると、巷間に伝えられるほどの情愛もさほど持ち合わせていなかったのではないか。せいぜいが「血縁」という手札程度の認識ではなかったかと思う。
シャルトルのベルナルドゥスは、12世紀ルネサンスにおいて、同時代人とその文化(小人)は古典文化(巨人)の基礎の上に成り立っていると考えた。この思想は、古代に対する劣等感と現代の進歩に対する自信という相反する要素を孕んでいる。
ナンプラー遺跡(古代ローマのガルム工場跡)
しのぎを削ったあの攻防戦 今なお続くここは最前線
織田信雄の甲冑。派手好みは父譲り。 #どうする家康
井伊直政は自他ともに厳しい人物であり、また気性も激しく些細なことで家臣を手討ちにしたことから、家臣の中には直政のライバルであった本多忠勝の下に出奔する者が多かったという。忠勝が親分肌であったとも言えるし、またさすがの直政も忠勝には面と向かって言いづらいこともあったのだろう。
弟が消えるバグ#歴史の出来事の後にバグをつけるとそれっぽくなる
死んだはずの皇子が次から次に現れるバグ #歴史の出来事の後にバグをつけるとそれっぽくなる
ザポロージャのコサック軍(ヘーチマン国家)の首領であるヘーチマンの紋章を見ると蹄鉄が描かれており、やはり彼らは「馬の民」だったのだろうと思う。 (サハイダーチヌイ家、テテーリャ家、ホーホリ家)
鍛えるか…地頭力を…(犬追物)
再婚メガネ(ヘンリー8世)の兜
古代から中世にかけてのキリスト教の普及は、ローマ帝国版図の地中海世界では下層社会から広まって上層へとボトムアップで浸透していったのに対し、族長を頂点とする部族社会だったゲルマン人に対しては族長や貴族階級の改宗からトップダウンで部族全体への改宗が試みられたのだという。興味深い。